対談:浦田社長 x 奥原

オンコリスバイオファーマ株式会社 上場記念特別連載(3/3)

12月6日、東証マザーズに上場を果たしたオンコリスバイオファーマ。
浦田泰生社長と、創業を後押ししたNVCC奥原主一が対談。
前回に続く上場までの舞台裏の話題から、浦田社長の生い立ち、事業にかける想いまで、両者とも身を乗り出して語り合った。

自己資金700万円
半年で底を尽く

奥原「最初、浦田社長の自己資金700万円、他に大学の先生などから集めた分を加えて3,000万円ぐらいで事業を始められたのですよね」

浦田「そうです。昼はオニギリ握って持っていって、極力お金を使わないように切り詰めた。
でも資金は半年ぐらいでなくなってしまって。設立の時だけでなく、資金繰りは常に苦しかったですよ。
社員に給与を払わなくちゃいけないので、銀行のカードローンを三行からそれぞれ限度額いっぱいまで借りていた時がありました。
そしたらある朝、家内がすごい剣幕で娘を連れて部屋にやってきたのです。
“銀行から何本も電話があった、いったいいくら借金しているの”って。
いやいや融資枠をもらっているだけだからとごまかして(笑)。
カードローンでやっと社員の給与分のお金を工面したのに、今度は会社の口座をそっくり都税事務所にから差し押さえられた時もあって、さすがに万事休すと思いましたね」

浦田社長と奥原

米国クリスマス休暇で
倒産の危機!?

~その後、同社は世界第12位の製薬メーカー、ブリストル・マイヤーズ・スクイブと総額290億円の大型ライセンス契約を締結した(詳しくは第一話)~

浦田「ブリストルと契約が決まった後も大変でした。実は、その時すでに口座には給料を払うお金すら残っていなかった。
でも12月13日に契約して、24日クリスマス休暇に入る前には最初のライセンスの振込があるはずなのでそのお金で給料を払おうと思っていました」

浦田「ところが、24日になっても振込がない。
アメリカに確認すると支店名を書き忘れる先方の手続きミスで送金がニューヨークの銀行で止まっていることがわかった。
それで、クリスマス休暇中の経理担当者に無理を言って再度振り込んでもらった。
よしこれで大丈夫だと思ったら、27日、28日と毎日確認するが送金がない。
また方々に問い合わせて確認すると、今度は国内の銀行には届いているが、多額の為替で手続きに時間がかかって出金できていないという。
とにかくなんとかお願いします、年内に出金できないとまた、口座は差押えられて、倒産してしまう。
無理言ってやっと口座に資金が振り込まれたのが12月30日。本当にギリギリでした」

浦田社長と奥原

プロギタリストから
薬学の道へ転身

奥原「お生まれは犬山で、ご実家は薬局を営まれているとか」

浦田「父親は85歳でまだ現役でお店に立っていますよ。
田舎の小さな店だから、湿布を出しただけで近所の人はありがたがって畑で採れた野菜なんかを持ってくる。
そんな親の働く姿をみて育ちました」

浦田「京都薬科大を卒業してから半年ぐらい音楽事務所に入ってプロのギターリストをしていました。
でも有名アーティストのツアーに同行して演奏しても給料が出たり、出なかったり。
これで食うのは厳しいなと、でも東京に出る実力もないし、ということで大学院に入り、薬学を本気で極めようと猛烈に勉強を始めました」

奥原「京都薬科大学大学院で酵素の研究をされていたのですよね。研究者の道も考えていたのですか」

浦田「そう、研究者になれるとばかり思っていたのですが急にポストがなくなったと言われて就職先探し。
小野薬品工業に面接にいったら”ヒゲを剃らずに来るとはいい度胸だ”と気に入ってもらい入社できました」

奥原「その後、JTに移られて約10年間勤務されて47才で起業。
JTにそのままいたほうが良かったと思ったこともありましたか」

浦田「起業してから眠れない夜は何度もありましたよ。
でも会社員のままでいても同じように苦しかっただろうなと、やりがい、生きがいがなく生きることも同じぐらい苦しいことだと思います。
世界中の人に役立つ薬を生み出せる喜び、これは何物にも代えられませんね」

~対談終了後、両者の今後のさらなる発展を祈念して固く握手を交わした~

浦田社長と奥原